【みんな誰かの『いい子』になりたかった】いい子症候群について
TLから見かけたので。
— ちゃんおい@ブログ初心者 (@ChanOI_19) January 27, 2019
いい子の「いい」は、個人の価値観によるものだ、ということを大人に気づいて欲しいです。
期待に応えようとする子どもは、その大人の価値観に確実に縛られます。
「いい子だね~」という言葉は、子供に呪いをかける。|きの @Tkino117|note(ノート) https://t.co/MdCHL5VeJq
Twitterで見かけて、つい反応してしまいました。こういう発信をしてくれるのって本当に嬉しい。もっと広く伝わって欲しい。
触発されたので、もう少し話したいと思います。
①『いい子』ってなんだ
『いい子症候群』というものが問題になっています。
いい子症候群とは、周囲の大人に「いい子」に見られたいと思う子どもが、自分の本当の気持ちが表現できずに苦しくなること。
そうしていると、どこかで気持ちの爆発を起こしてしまうか、苦しい事にも気付かずに周囲の意見だけで行動するようになってしまう。
それでは本来の、『その子自身の幸せ』ではありませんよね。
そもそもですよ。いい子いい子っていうけど、じゃあ『いい子』って具体的に、どんな子でしょうか。
人それぞれ?その通りです。
大人の言う「いい子」の『いい』は、個人の価値観でしかないです。
もし大人が子どもに「いい子に育ってね」と言ったとしたら、それは「私の判断基準の中で、正しい子になってね」という意味になります。
そもそも「いい」ってなんだ
すこし話がそれますが、哲学の話をします。
哲学者であるスピノザの『エチカ』という本に、「よい」と「わるい」について書かれています。エチカは多くの哲学書の中でも比較的難しいと言われていますが、わかりやすくまとめた書籍もあるので是非手に取ってほしい。
さて、エチカの中でスピノザは、『物事の良し悪しは、組み合わせの問題だ。実体そのものに悪いものはない』と述べています。
たとえば暑がっている人にアイスをあげたら、その人にとってアイスは自分の「暑い」という不快を和らげてくれるものです。その人はアイスを「いいもの」と捉えます。
でも寒がっている人にアイスをあげたらどうでしょう。その人にとってアイスは「寒い」という不快を助長します。その人はアイスを「悪いもの」と捉えます。
その時の環境や、その人の趣味、性格、考え方も含めて、すべての組み合わせとしてソレがその人を幸せにしていれば、それは「いいもの」になるのです。
この考え方に基づくと、人の言う「良い」は、「自分と組み合わせた時に自分が喜べる」という主観を全面に押し出した意思表示ということになります。
簡潔に、「“自分にとって都合の”良い」という感じです。
そう考えると「いい子」って、ゾッとしませんか。
子どもはその「いい子」という言葉に縛られてしまうんです。
『いい子症候群』は、殆どの人がなる
先ほど述べた『いい子症候群』は、子どもが「いい子」と言った大人の期待に応えたいと思うからこそ、その大人の価値観に合わせようとするからこそ、起こり得ます。
「そんなつもりで言ってないのに」と思う方もいらっしゃるのかもしれませんね。
一応言っておきます。
「1人の子どもの世界は大人個人で出来ている」ということを、忘れないでください。
特に子どもにとって親・保護者は絶対的な存在です。そして、「この人がいないと生きていけない」という事を知っています。
そんな存在に「愛されたい」と思うことは、本能的なことです。「いい子になりたい」は、その延長線にあります。
誰がなってもおかしくない。みんな誰かの「いい子」になりたくなるんです。
『いい子症候群』のしくみ
では、「いい子」と言われることで『いい子症候群』になる、その過程を説明します。
わたしの推論にすぎませんが。
自分の本音が言えなくなる根本的な理由は、「いい子と言われたから」ではないと思います。じゃあ何が原因か。
それが、上記でなんども言った『価値観』です。
そもそも、1人の子どもに関わる大人の数が少ないんです。最近なんか地域との繋がりも希薄になり始めていて、尚更です。
つまり、1人の子どもが頼れる大人が少ない。
そうすると、子どもにとってごく少数の大人の価値観が、絶対的なものになります。
つまり、狭い価値観に縛られる。
これをやったら絶対喜ばれる。これをやったら絶対怒られる、軽蔑される。
絶対的な価値観を、子どもは「当たり前のこと」として消化します。
そうすると、少しでも価値観に逸れたことしてしまうと「ありえない、おかしい」とショックを受けるようになるのです。
価値観と違った自分の意見も「ありえない」、
価値観の違う友達も「ありえない」、
価値観に沿った結果が残せなくても「ありえない」。
そうしていくうちに、子どもは「いい子症候群」になっていくのだと、思っています。
②「いい子症候群」にならないために、大人ができること
根本的な問題は、狭い価値観に縛られるからと言いました。
じゃあ、どうしたら子どもの価値観って広げられるのでしょうか。
『いい子症候群』のしくみで少し話しましたが、価値観が狭くなる原因は、少ない大人の価値観しか知ることができないからです。
勿論、その少ない大人の中に多様な価値観を受け入れる素敵な大人がいれば子どもは救われるでしょう。ですが、そのような方はまだまだ少ないです。
多様な大人の、一人一人の価値観を知る環境をつくることができれば、ある程度改善されるのではないかと思います。
つまり沢山の基準の『いい子』がある、ということを間接的に子どもに伝えるんです。
それは大人が自分から子どもに関わっていくことも良し、多くの大人の価値観を紹介したような子供向けメディアと、それに触れるキッカケを増やすも良しです。
多様な価値観を知るキッカケとして、本を読むことが一番手軽でしょう。
ただ、本が苦手な子に本を押し付ける必要性もありません。本は、自分のその時気になったものを読むのが一番だと思っています。
なので、本と別の選択肢として、多くの大人と関わる機会を作っていくことも大切なのかなと思います。
勿論最近は物騒な大人も多いです。やみくもに大人に関わらせろとは言いません。
わかっていると思いますが、大人が動くべきなんです。親・保護者や教師に限った話ではありません。
③子どもが「自分らしく」生きるために
子どもの価値観を広げるためには、数多くの大人の力が必要です。
でもその前にもう一つ大切なことがあります。
『学力の経済力』という本の中で、「子どもの成長のためには、教師の数を増やすのではなく、教師一人ひとりの質を高めることが必要である」ということが述べられています。
この話のなかでは教師だけを指して述べていますが、私は周りの大人だって質を上げるべきだと思うのです。
それは指導技術や各教科を学べと言っているわけではありません。身に着けてほしいのは子どもの心理や、子どもの現状、子どもをとりまく環境といった知識です。そして、子どもとのコミュニケーションスキル。
なにより子どもに価値観を広げてほしいなら、まず大人が価値観を広げなくてはいけません。
現状、社会は子どもの成長を保護者まかせに、教育を教師まかせにしがちだと思います。それで、学校内のいじめや未成年犯罪の類いに対して学校や親を非難する。
未来を創っていく彼らに対して、ちょっと無責任じゃないかと思うんです。
まずは私たちから、動き出していくべきなんじゃないでしょうか。
当然、動き出す大人の中に私も入っています。私だって動くべきだ。
今は仕事を通して子どもの意見を聞いたり自分の話をしてみたりと、試行錯誤の真っ最中です。もちろん勉強不足な点も、必死に補おうと読書中です。
こういったスモールステップを積み重ねて、少しでも子どもたちの力になれればと、願っています。
こんなに真面目にブログを書くとは思わなかった。でもこの話は真面目に書いておきたかった。長々とお付き合いありがとうございました。ちゃんおいでした。